映画『高野山への道』


  若き空海を追って気づきの旅が始まる
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製作にあたって

監督:皿井淳介

「まだまだ映画になってもいいのかな…と」

RIMG0223.jpgそもそも、そんなに仏教に対して豊富な知識を持っていたわけではなく、空海も高野山も真言宗も、日々の生活の中で密接な関係であったとはとても言えない。そんな私がひとりの住職=天野高雄さん(以下、こうゆうさん)と出会い、高野山真言宗の映画を作ることになった。

こうゆうさんは絵や陶芸など作家活動を行い、ラジオ、テレビのパーソナリティを勤め、プロレスから沖縄文化まで話題の幅が広く、そして毎日拝んでいる。多くの事柄に精通していた「空海的」な人だったのである。そんな人だから映画の話もすんなりと、実現の方向で動いていった。

「若き空海が高野山をたどった道」を追体験する。これがテーマにあった。当初ドキュメンタリー作品を考えていたが、こうゆうさんたちが手がけた“宗教演劇”(死んだ人間が浄土に行くまでをわかりやすくひも説いた作品)のDVDを見て、「宗教映画だけどある程度の自由に表現できるかな」と思い始めた。若い僧侶たちと実際に現場を歩きロケハンをした中でロードムービーの構想が浮かんだ。

旅をする。何があるのかわからない。その旅の過程で、人は何かを掴んだり、感じたりする。そんな映画にしたかった。こうゆうさんからの情報提供をしていただきながら、台本を固めたが、自分の中で消化しきれてない部分もあり、あとは現場=吉野の自然を感じながら撮影を進めることにした。さわやかな朝も、どことなく妖気を帯びた雨も、神秘的な山中も体験した。この作品の偉大なる“味方”になってくれた。

主人公の真が山男(新崎人生さんに感謝)の元にたどり着き、信念と対峙するシーンはそのときの自分の宗教に対する思いも取り入れている。その後につながる真と母(小林啓子さんに急遽出演頂いた。こちらも感謝)のシーン。脚本の中に書かれた「空」がイメージのまま登場してくれた。映画のストーリーと同じく、旅を続けて行く中で自分の視野と感覚を磨きその枠を拡げていけたと思っている。

そして宗教映画というと、ちょっと特異なジャンルのように聞こえるけど先達の教えには変わりなく、しかも1,200年の長きに渡って伝えられている師の偉業なのだから。まだまだ映画になってもいいのかなと思っている。日本人が気付かなきゃいけない“生きるヒント”がまだまだ隠されているだからこの旅はまだまだ続くのだ。


【皿井淳介(さらい じゅんすけ)]ざっぱうさぎ代表 1970年生まれ。東放学園専門学校卒業。山陽映画にて企業VP、CMなどのビデオ編集に携わる。2000年にフリーとなり岡山県を中心に映像製作、演出を行っている。映画プロデュース作品に山本淳一監督の「ガールフレンド:ストラトス」(2000年)天野高雄、桂米裕出演の地元ケーブルテレビ「何を描(か)く僧(そう) ほほえみ堂」の演出がきっかけで本作の製作、監督を務める事になる。“rough and laugh work”がモットー。

調査:桂 米裕(吉田宥禅)

「調査からの展開…高野山への道~飛行三鈷を求めて」

DSC00249.JPG「吉野より南に行くこと一日にして、更に西に向つて去ること両日程、平原の幽地有り。名づけて高野といふ。」このご文章を拝見した時、素直に歩きたいと思った。お大師さまは、山林修行者となられた若き日、どのような想いを背負われ道を歩まれたのだろう。同じ事をしてみたい。道は記憶をする。時の流れの中で営まれる全てを刻み込んでいる。

2008年初夏、吉野山へ進路を取った。備中よりの移動時間は四時間。世間で心配している台風情報どこ吹く風の晴天の中、吉野山へ入る。青い空にくっきりと浮かび上がった蔵王堂の勇壮な姿に胸が躍る。大日寺のご住職、本岡幹隆師にお話を伺う。師は、眼光鋭いお方で、行者として山を知り尽くされておられる。単刀直入にお大師さまのお歩きになられた道について伝えられていることをお尋ねすると、ハッキリと「ない!」と答えられた。その言葉で、ドキュメント映像の道は断たれた。瞬時に断たれた。

本岡師は仰る。「例えば、そのお寺に伝わっている伝説があったとしても、そのお寺の本当の創建を知らねばならない。恐らく江戸初期だろう。そこは未開の地、高野山にお寺がない時代に、ある筈がない。」目から鱗だった。吉野から高野へ向かわれたのは事実だが、道を調べよ、伝聞に惑わされるなと気付かされた気がした。高野山付近は、もとは吉野の管轄地であったらしい。ということは、山に住む者達は、当たり前のように地形を把握している。だから、特別な道ではないと断言された。

本岡師も、後に取材させて頂いた天河大辨財天社の柿坂神酒之祐宮司のお話も、「お行きなさい、お行きなさい。」と背中を押して下さるような感じがし、天候までもが味方についた。そして、お大師さまの御廟を目指した。

お大師さまは唐より三鈷杵を投げられ、その三鈷杵を探して高野山に辿り着いたとされる「三鈷の道」も、高野山に突き立てられた三鈷杵も、今なお加持力を発し、多くの者を高野へ誘う。ある者は修行の道場として、ある者は救いを求めて、また、ある者はお大師さまとの出会いを信じて。どのような形で高野山とご縁が結ばれるのか、どのような形でお大師さまを感じられるのか、そのひとつの形が若者が高野山を目指す物語の布教映画「高野山への道」として表現された。こんな形があってもイイ。

高野山への道 調査行程

2008年
 5/13(火)
  06:00 倉敷 出発(笠岡 出発)
  10:30 吉野山 到着 金峯山寺 参詣
  11:00 昼食
  12:15 如意輪寺 後醍醐天皇廟 参詣
  13:00 大日寺 参詣
  15:00 地蔵峠 鳳閣寺 理源大師廟 参詣 
  16:45 小南峠
  17:00 宿舎 旅館紀の国屋甚八 

 5/14(水)
  05:00 洞川 龍泉寺 参詣
  08:00 宿舎 出発 
  08:30 天河大弁財天社 参詣
  10:00 来迎寺 参詣
  10:30 栃尾観音 円空仏拝見
  11:30 光流寺 参詣断念
  12:00 野川弁財天 参詣
  13:15 天狗木峠 到着
  13:30 桜峠
  14:30 高野山 御廟 解散

【桂 米裕(かつら よねひろ)] 1963年、大阪生まれ。1984年、桂米朝に入門。1991年ABCお笑い新人グランプリ最優秀賞受賞。1992年、愛妻の実家を継ぐために、高野山真言宗で出家。現在は、岡山県矢掛町 圀勝寺の住職を勤めながら、噺家と僧侶の二足のわらじを履く。落語説法、坊主漫談、講演会などで幅広く活動。簡単で親切な法話、落語を目指す。高野山真言宗本山布教師。

脚本協力:天野高雄

「劇場映画ではなく、布教映画として」

IMG_3012.JPG2008年、岡山(備中地区)の高野山真言宗の記念行事・特別伝道『高野山同行参拝/檀信徒1,300名一斉参拝』の際、35台のバス車中において布教映画をとの依頼を受け、私が当時、会長を務めていた青年教師会が手がけることになった。檀信徒とは一般の信仰者…いわゆる専門家でなく、ごく普通の人々を指す。そこへ向けての内容(布教)が求められた。

これまでの当会は、演劇という形で記念上演を行なった経緯があり、今回も「演劇を」という依頼が最初だったと記憶している。しかし2015年に予定している高野山真言宗あげての大行事『高野山開創1200年法要』へ向けての何か形(布教映像)を残したいと思い、企画立案を行なった、

当初は、若き空海が高野山を知るきっかけとなった道を歩き、ドキュメント映像を作る予定だったが、当時を偲ぶものは皆無であり、たとえ学術的に構成出来たとしても一般向けとすることは難しいという判断から、急きょ若者が高野山を目指す物語のロードムービーとした。

主演2人(男女)は俳優を起用、他の出演者は現役僧侶、歌手、プロレスラーと異色の演出。空海と不思議なご縁をもつ個性派が全国から集結した。音楽はアジアを代表するアーティスト・日出克。脚本は高野山本山布教師の資格をもつ私と吉田宥禅師、そして皿井監督が務め、現代劇ながら要所に空海伝説を盛り込む手法を取り入れた。なお、この映画の原作は未発表ながら存在する。

この映画は俗にいう劇場映画ではなく、布教映画としての位置づけで完成させた。セリフを極限まで減らし、紙芝居のような展開で進む。映画上映の始めと終わりに、僧侶が補足の法話をすることで観る者の心境に応じた感動を与えられるように構成している。いつだったか上映会の後、評論家から「イイ意味で劇場映画としては駄作、布教映画としては傑作」とお褒めの言葉を頂いて喜んだことがある。これは監督として本意ではないかも知れないが、原案を出した布教師としては最高の賛美だった。

本編は、バス上映編と劇場編の2本があり、上映時間、エンディング等が異る。バス上映編は、高野山の麓・九度山から上映を開始し、エンディングで高野山大門に到着するという景色(シーン)に合わせた編集となっている。また映画を見終わった後に参拝したいという気持ちを高めるため、サウンドトラック(映画音楽集)も同時に製作された。

天野高雄/あまのこうゆう】1968年、岡山・倉敷生まれ。15歳より高野山へ入る。祖父の跡を継ぎ、第16代高蔵寺の住職となる。高野山本山布教師(真言宗公認)として全国にて講演活動を展開。また、画家として仏画「ほほえみほとけ」を制作、毎年各地で個展を開催、目で見る法話として喜ばれている。FM倉敷「拝、ボーズ!!」(第 40回ギャラクシー賞/最優秀賞受賞)「きくへんろ。」パーソナリティー、 ニュースコメンテーター、執筆家としても活躍。